わたあめの日記

タイトルは歌詞です

かみさま,どうか

2021.04.20 Tue

 

今日は2限目から授業があるので早起きしなくてはならなかった。目覚ましが鳴り,まだ寝ていたいと思いながら,スヌーズにするか停止するか迷い,停止して少しツイッターを見てから起きた。パンを電子レンジで焼いて,懇意にしているフォロワーとLINEしながら朝ごはんを食べた。「元気ね」と言われた。大学に間に合うだろうか,ということばかり考えていたから,自分が元気かそうでないかなど気にする余裕もなかったが,そう言われて初めて昨日のような憂鬱さがほとんど顔を出していないことに気が付いた。

 

昨日はなかなかひどかった。無気力のあまりバイトに行きたくなくてべそをかいていた。体温を改ざんして伝えて休んでしまおうかとも思ったが,休むことよりも欠勤の電話をすることのほうが嫌だったので,仕方なく行った。帰りに死のう,と思いながら,バイト先までの道を早足で歩き,2時間弱の時間をやり過ごした。いざ終わって,死ぬ方法を考えてみたけれど,死ぬための行動(ロープを買うとか道のりを調べるとか)を考えるのが面倒くさくて,普通に夕食を買って帰った。私はいつまでたっても死ねない。

 

火曜日は2限目のあと,お昼休みに加えて,3・4限も空いてしまう。とても退屈だから,まだ日記を書くには早い時間なのだけれど,これを書いている。たぶん帰ってからは書かないだろうし。

 

空いた時間にやらなければならないことはたくさんある。就活の準備だとか,論文を読むだとか。しかし,それらをやれるだけの気持ちにはどうしてもなれなくて,ブログを巡回したり,ネット麻雀をしたりしていた。どうしよう,このままだと生きていけない。

 

生存することはできるのだ,なにもしなくたって,食事と睡眠をとってさえいれば。しかし,人間として社会的に生きていくことが,このままだとできない。厳しい,頑張り続けないと,私は社会から人として認めてもらえない,でも,もうがんばりたくないよ。

 

問題なのは,これほどまでに頑張りたくないのに,体力的にはまだ耐えられるということだ。本当はもう限界に近いのだろうけれども,まだ倒れていない,まだ生きているから,頑張らなくちゃいけない,まだ頑張れる,もう頑張れないのに,周りは私に頑張ることを強いるし,私もそれに応えようとする。早く死にたい。本当は頑張らなくても適当にやっていればいいことだってわかっている,でも,でも,自分を自分と周りの人に認めてもらうために,まだ頑張らなくちゃいけなくて,それが普通に生きるということなのだと,私は考えている。

 

Now Playing orion / 米津玄師