わたあめの日記

タイトルは歌詞です

人がいたはずの残りかすが散らばってら

2021.01.13 Wed

 

少し早いけれど、お気持ちが辛いので、もう書いてしまおうと思う。

 

今日は朝から辛かった。私はいつも朝ご飯を食べたあとと夜眠気を逃したあとに辛くなりがちだ。今日もそうだった。昨日の夜、10時くらいに眠気がやってきたのだけれど、まだ早いからと起きていたら、眠れなくなって辛くなった。朝も同じだった。なるべく美味しいものを食べて、眠くなったからお昼寝をしたのだが、それでも辛さは軽減されなかった。

 

大体私は自分でも気づかないようなあまりにも些細なことで傷ついたり不安になったりしすぎるのだ。

 

2限は出席した。今日こそはまともに受けようと思ったのだけれどやっぱり無理だった。対面授業でも寝ているか落書きをしているかスマホをいじっているかしかしていないのに、家で一人でなんて受けられるわけがないのだ。

 

3限はグループワークがあるらしかったので切った。模擬事例の検討をするらしいかったから行くべきだったのだろうが、無理だった。というか、高校のときから授業をさぼることに何の抵抗もなさすぎる。無理ならいいや~となってしまう。学費を払ってもらっている身で、だとか、各方面から叩かれそうだ、でも無理なんだよ、授業を受ける前も、最中も、軽い不安発作みたいな、胸が苦しいのとか、喉が詰まる感じとか、うっかり泣き出してしまいそうな、精神的な苦痛よりも、身体的な異常のほうが辛い。感情よりも先に、体に出る。

 

自殺してはならない、という意識は、体にしみ込んだところで無意識の領域に入り、たとえば自殺したくなったときに、死にたくないという感情に変化し、強固に自殺を阻むのではないか、と思った。だとしたら、私はもう大丈夫だね、自殺が絶対的に正しくて、一刻も早く自殺しなければならなかったときの私は、もうどこかに消えてしまった。

 

メンヘラは感受性が高いというのは嘘で、実際は認知機能が下がっていたりなんだったりして、芸術作品を見たときやなんかは、何も感じません。ソースは俺。

 

感情があふれやすいというだけなのだ、常にぎりぎりで、心の中のコップは今にもあふれそうなくらいに水があって、そこに1滴落ちただけで、心の持ち主である私の身体は不調を来したり涙を流したりするのだ、それが感受性が高いように見えるだけで、実際はそんなことない。

 

Now Playing 明日にだって / ネクライトーキー