わたあめの日記

タイトルは歌詞です

一切の無駄のない動きで飛び降りる美しい君を見ていた

2021.01.21 Thu

 

書くことがなく気持ちが滅入っていたので、今日はもう日記を書かなくてもいいかなと思っていたが、フォロワーに話を聞いてもらってすっきりしたので、書くことにした。

 

落ち込んでいた理由は、私の言動が原因で相手を怒らせてしまったのではないかと不安になっていたからだ。怒っていないであろうことはわかっていたのだけれど、どうしても不安だった。私はよくこういうことで落ち込む。ツイッターでリプをしあっていて、相手が少しそっけなくなったと感じたときに、それが事実であるかどうかとか、仮に事実であったとしてその理由がどうかとか、そういうことをお構いなしに、ただひたすら不安で落ち込んでしまう。これは私の人によく思われたいという気持ちが強すぎるからだ。昔からずっとこうで、怒られることや見限られることにひどい恐怖を覚える。それはもう対人関係に支障をきたすくらいにだ。

 

何とかしたいとは思っているが、具体的に何をしていいかわからない。精神科と授業で受けた東大式のエゴグラムのACが満点だったということはそういうことなので、どうやらAC以外の得点を伸ばせるような行動を心がければ自然と人によく思われたいという気持ちが強すぎて困ったことになるということはなくなっていくらしい。私は確かAとかが低かったので、論理的に理屈っぽく生きるように心がけるといいのだろう。しかし、なんだかんだ言って私は今の私が好きなので、なかなか変わろうとは思えない。今の私が好きで、それを周りの人に丸ごと受け入れてほしいという思いがある。

 

ところで、本日で今期の木曜日の授業は終わりであった。3コマあり、そのうちの2コマはもう課題がないので、すっきりとした気持である。残りの1コマは持ち込みなんでもオッケーのクソ楽テストがあるだけだ。

 

私はたいていいつも早めに課題を終わらせることができる。早く不安感や焦燥感から解放されて安心したいからだ。だからということもないが、どんなにヘビーな課題を終わらせても、達成感など一つもなく、胸に残るのは空虚な安堵のみだ。それでは物足りないから、いつも複数のフォロワーや家族に褒めてもらっている。ドーパミン的な快楽が感じられないから、そういうふうに置き換えている。置き換えている、というといつも褒めてくれているフォロワーや家族を道具みたいに扱っているようで申し訳ないが、私の対人スタイルはたぶん誰にでもそのような感じで、道具的な扱いを脱することができない。私を大切にしてくれると判断した人には大切にしようと私も思うけれど、それでさえ機械のメンテナンスのような感じが拭えない。

 

Now Playing ペトリコール / 雨のパレード