わたあめの日記

タイトルは歌詞です

放課後のピアノ、夕方のブラスバンド、真夜中のビートルズ

2021.02.25 Thu

 

懇意にしているフォロワーに、半年前から良い意味で変わったと言われた。自分のことは気になるものなので詳しく聞いてみたら、半年前はもっと腕をスパスパ切っていたし薬をガバガバ飲んでいたと言われた。今よりも少し「じさつじさつ」という感じで、今は具合が悪くなっても一人ですぐなんとかしているとも言われた。ODしなくなったのはお金が本当になくなってしまった(より正確に言えば他のものに使いたい)からだし、具合が悪いときにはやっぱり一人で何とかすることはできない。でも、半年前よりもメンタルの調子が少しいいように感じる。これが成長なのか時期的なものなのか、判別するのは難しいけれど、少し前向きに物事を考えるコツを掴みかけているように感じる。

 

半年前、私はネタツイと病みツイを繰り返していた。一日一回、「死にたい以外の感情、自明になくて好き」とツイートしていた。それと、当時付き合っていた人が以前思いを寄せていた人がODをして狂ったツイートをしているのを見て嬉しそうにしていたから、私も2日に1ぺんくらいODしていた。腕はまあよく覚えていない。

 

ほんとうに、本当に考え方を少し変えるだけで良い、こんな自分が嫌いだ、ではなくて、こうなりたい、と考えるだけで、自己嫌悪は向上心に変化する、ということに、昨日気づいた。

 

ひと月にひとつくらい、割と大きな気づきが生まれる。それは私以外の人にとっては本当にとるに足らないものなのだろうけれど、私にとっては非常に大きい。しかも、私のことだから、自分で気づかないと意味がないのだと思う、他人に言われたことはすべて右耳から左耳へ抜けて行ってしまうので。成熟している人は知っていて、それを教えてくれるのに、自分で気が付くまで学ぶことができないものが、あまりにも多すぎる。それでも、一日にひとつ、ひと月にひとつくらい、大事なことに気がついて、一歩一歩進んでいくことができるのは、本当に尊いことだと思うのです。それが生きているからだなんて言うつもりは絶対にないけれど、たぶん、これくらいしか人生の価値はない。

 

私は、1~2年間くらいどっぷりはまっていた「死だけが正義」という価値観から、抜け出すことができたのだと思う。当時の私は、生死に正しさなんてないと分かっていても、死が圧倒的に正しい事象なのだと、信じていたかった、だからずっとそう言い張っていた、今は割とどうでもよくなっている。

 

Now Playing 十代とエレキ / みるきーうぇい