わたあめの日記

タイトルは歌詞です

「人の為」と書いて偽り

2021.01.01 Fri

 

年が明けた。昨晩、年末の雰囲気が耐えがたいほど不愉快で、本来は1錠の眠剤を2錠飲んで寝てしまったから、起きたのはまだ暗い時間だった。新年はじめの日に早起きできたというのは幸先良い気がして少し嬉しい。いつまでも布団の中でぐずぐずしていても仕方がないと思って、起床しお湯を沸かした。そのうちに祖父母も起きてきて、久しぶりに一緒に朝ごはんを食べた。

 

新しい1年が始まったから目標を立てて心機一転頑張ろう、という人の気持ちが全く分からない。それが新年ではなく4月だったらまだわかる。しかし、1月1日は、生活の上で何の節目でもない。せいぜいいつもより豪華なご飯を食べたり、街が混んでいたりするくらいで、特別な日ではあれど、節目ではないと思うのだ。だから、気持ちを入れ替えて頑張ろうという気にはなかなかならないのではないのか、と思う。いや、別になることは悪いことではないし、どちらかといえばいいことなのだと思う。私の感覚ではよく分からないというだけの話。むしろお正月はだらけてしまうし。

 

郵便屋さんの気配がしたから少し経ってから郵便受けを見たら空だった。そんなことあるか? 家族誰も年賀状をもらえないとか、全員人づきあいが悪すぎる。

 

夜になって急に、おみくじを引きたくて仕方がなくなった。とにかくおみくじが引きたい。結婚の欄を見たい。まだ4年制大学の2年生だから今年は結婚しないと思うが、結婚のことが気になって仕方ない。恋愛よりも結婚だ。まだ10代なのにロマンチックよりも現実を気にしてしまうのは少し早すぎやしないかとも思うが、気になるものは気になってしまう。恋愛なんかどうだっていいという気持ちもある。どうにでもなるので。私は誰といても幸せになれる。

 

せっかくおみくじを引けるくらいの規模の神社に参拝するのなら、と思い、近場の神社にどのようなご利益があるのか一通り調べた。いつ行くか決めていないけれど、今から楽しみである。今年こそ精神病を落ち着かせたい。「統合失調症寛解させたい」という願いは、具体的に見えて結構曖昧だから、寛解させてどうしたいのか、何のために寛解したいのか、みたいなことも考えておこうと思う。もちろん病気なのだから治った方が良いのは当たり前なのだが、統合失調症寛解というとどういった状態であるとはっきり言えないようなところがあるから、それ以外の言葉で表現したい。なんだろう。意味もなく苦しくなるのをやめたい。自殺について考える時間をなくしたい。頑張りたいと思ったことにすべての力を注げるようになりたい。そういったところだろうか。

 

Now Playing Never Ending World / SEKAI NO OWARI