わたあめの日記

タイトルは歌詞です

2020.12.31 Thu


家族の立てる足音や声に苦しくなり、イヤホンで耳を塞ぐも、そこから流れてくる邦楽の歌詞でいらぬ記憶が次々と呼び起こされ、必死で歌詞のない音楽を探して、今、ショパンを聴いている、聴いてなんかいない、環境音を妨害するために流しているだけだ、珍しくあまりの辛さにスマホの電源を落とした、スマホを見ているとたくさんの情報がなだれ込んできて、ときにわたしの気を滅入らせてしまう、しかしわたしは自力でスマホを触らないということができないから、やむなく電源を落としたのだ、しかしその甲斐なく、数分したらまた電源を入れて、ツイッターを開いているのである。


人の立てる音がとても苦手で、下宿にいるときにも、下校中の小学生の騒いでいる声がとても怖くて布団に潜って泣きそうになったりしていた。実家に帰ってきてから、自明ではあるけれども、人の物音を耳にする機会が増えた。足音、ドアの開閉音、テレビの音、話し声、ため息、怒鳴り声、もう、散々だ。どうして帰ってきてしまったのだろう。家族は温かいなんて幻想だ、私は自分がとても大切にされていることはわかっているけれど、それでもところどころで散る火花に耐えられそうにない。


弟は反抗期だから仕方なくて、母親はそういう喋り方なのだからと受け入れなければならず、祖父はそういう性格だから、えっ、でも、わたしは? わたしだけ我慢して誰にも見つからないように、余計に傷つけられるのが怖いから音を立てないように気を遣いながら、ひっそりと泣いていて、彼らは好き勝手に感情を発散させているのに、わたしだけ、ひとりで、布団の中に潜って、ずっと泣いている、なんで? なんでこんなにびくびくしながら生活しなくちゃいけないんだろう、家族ってやさしくてあたたかいものじゃなかったの? テレビの見過ぎだったかな、ぜんぜん点けないのにな


居心地の良い家庭って世の中にどれくらいあるのだろう、ツイッターなんてやっていると特にもう害でしかないような家庭状況しか耳にしない、父親にレイプされたなんて話さえ聞く、結局しあわせな家族なんて物語の中の幻想でしかなくて、みたいなことを考えていたら、先ほどLINEで送られてきた豪華な食卓を思い出してまた気が滅入ってしまった、それが家族との夕飯かどうかなんて知らないけれど、彼は家族とうまくやれているらしいので、ただひたすらに憎い


Now Playing エチュード嬰ハ短調Op.10-4 / ショパン