わたあめの日記

タイトルは歌詞です

SOSの向こうに救命がないのを知っていたって

2021.01.02 Sat

 

懇意にしているフォロワーと通話するために、夕方、散歩に出かけた。この辺りは田舎なので私の散歩コースには家か田畑しかない。にもかかわらず2人とすれ違ってしまったのは非常に苦痛であった。雪が舞っていて、思ったよりも寒かった。冷たい風が歯にしみたし、雪が口の中に入ってきた。

 

今日は本当に書くことがないから、表題にした歌詞をテーマに書いてみようと思う。これは米津玄師のリビングデッド・ユースという曲の1サビだったはずだ。中学生のときにスペースシャワーTVでアイネクライネを知って、母親に勧めたらドハマりしたらしく、その曲が入ったアルバムをamazonで購入し車の中やリビングで延々と流されていた。リビングデッド・ユースはそのアルバムの中に入っていた。

YANKEE(通常盤)

YANKEE(通常盤)

  • アーティスト:米津玄師
  • 発売日: 2014/04/23
  • メディア: CD
 

 ↑これがそのアルバムだが、あの米津玄師だしわざわざ紹介するまでもないかもしれない。私はこのアルバムとひとつ前のdioramaが好きです。ずっと聴いていたので。当時の私は雨降り婦人という曲にハマっていた。先日久しぶりに聴いたらcaribouが良かった。

 

diorama

diorama

  • アーティスト:米津玄師
  • 発売日: 2017/07/05
  • メディア: CD
 

 このAmazonの商品を張り付ける機能を初めて使ったのでだいぶ興奮している。

 

さて、そろそろリビングデッド・ユースの1サビの歌詞「SOSの向こうに救命がないのを知っていたって」について書かなければならない。私はこの日記をおよそ1000字と決めて書いているのだが、もう残り300字しかない。

 

私は今この歌詞を聞いて、ツイッタラーを思い浮かべた。最悪である。なんでお前らのことなんか……。しかし、ツイッタラーの「助けて」というツイートが頭をよぎったのは変容しようのない事実である。流れの早いドブ川みたいなタイムラインにたびたび流れてくる「助けて」というツイートは、誰に向けられたものでもなく、また、それをツイートすることにより助かることなどないことも分かっていて、それなのに何度でも投稿される。何度でも私の目に入る。私はそれに無言でふぁぼをする。他のツイートと同じように。

 

「助けて」と呟いたところで現状はなんにも変わらない。『「助けて」←助かりません!』と繰り返しツイートするツイッタラー(アサイラムともゑ)もいたし、そんなことはきっと誰だってわかっている。しかし、ツイートせずにはいられないのであろう。ありもしない希望に縋っているのか助けてと呟くことだけで実際に少し救済されるのか知らないが、限界になってきたときに「助けて」とツイートしてしまう気持ちは分かるし、私もよく呟く。もし私がタイムラインで助けてと言っていたら温かい目で見守ってできたらふぁぼをしておいてほしい。

  

Now Playing リビングデッド・ユース / 米津玄師