わたあめの日記

タイトルは歌詞です

気になるあの娘の頭の中は普通

2021.04.03 Sat

 

直近2~3か月の間,精神の調子が割と良好で,それまでおおよそ2か月周期で波の上下を繰り返していた私は,「このまま寛解するのでは」と楽観視しつつも,「そろそろ落ちてくるのではないかな」と考えていた。

 

寛解はどうやらまだのようらしい。1週間ほど前から随分と調子が悪い。理由もなく涙が出てきそうな状態が続き,いくら寝ても体が怠く,脳が正常に働かない。春だからかもしれない。生理だからかもしれない。とにかく,早めに持ち直すために,今日は一日何もしない日にしようと思い,昨晩は早めに寝た。

 

何もしないつもりだったのに,起きたらまず白湯を飲み,ひと段落したらバッティングセンターにいって2セット打ってきた。集中することができず,あまり成績が良くなかったように思う。ひとまず,80km/hのボールをだいたい打てるようになることを目標としており,そのためにバットを水平に振ることとボールがバットに当たるまで見ることと体重移動を意識しようと思っていたのだけれど,気が散ってしまってだめだった。まあ,誰に求められてやっているものでもないので,気長にやろうと思う。

 

バッティングセンターからの帰り道,こたつ布団のカバーを洗うことを思いついたので,帰って早々カバーを洗濯機に放り込んだ。その勢いでなぜか部屋の模様替えを始めてしまい,今日はもうへとへとだ。重たい本棚を何度も移動させたり,家具の配置を考えていたりしたら,ひどく疲れてしまった。

 

せっかく休もうと思ったのに,全くと言っていいほど休めなかった。明日こそ何もしない日にして,明後日から就活の準備を再開しようと思う。明後日になっても調子が悪かったらその限りではない,ときちんと記しておく。何をするにも,健康が第一である。心身を壊してまでやらなければならないことなど何もない。

 

3か月前くらいだろうか,調子がもっと悪かったときは,とにかく今日を生き延びることを目標としていた。今日を生き延びること,ODをしないこと,達成しなければならない目標はそれだけで,調子が良くなるにしたがって,腕を切らないことが加わり,進捗を出すことが加わった。再び調子が悪くなった今,達成目標を「生き延びること」まで引き下げることは必須なのに,なかなか難しい。進捗を出そうとすることが癖になってしまっている。そのこと自体は何も悪いことでないし,人間的であると思うのだけれど,来週から始まる新学期に備え,身体と心を調えなければならない。

 

とにかく,明日は休む。出来たら早く起きて,3食美味しいものを食べよう。明日の目標は,バランスのとれた3食(ないしは2食)の食事をとることにする。そうしたら,ゆっくり休むことができそうだ。人間は食事と睡眠からできている,その2つをおろそかにしてはならない。

 

Now Playing 気になるあの娘 / 相対性理論

 

 

2021.04.02 Fri


疲れてしまった。
明日から休みだったから今日のバイトに行けたけれど、今日から3連勤とかだったら辞めていたと思う。

午前中は就活サイト主催のインターンシップガイダンスを視聴した。ひどく疲れてしまった。

その後リフレッシュのために近所のバッティングセンターに行った。入店しても誰もいないと思ったら、受付のテーブルの下から「お客さんかい」と声がして、見たら猫がいて、「猫と昼寝していた」と言われた。とても良かった。私も将来バッティングセンターを経営したい。

連日のバイトと通院と就活とでキャパシティを超えてしまったようで、頭がぼんやりして現実感がなく、認知的活動も難しい。気分はさほど悪くないけれど、体がだるく、常に涙が出そうで、胸が苦しい。明日はとにかく休む日にしようと思う。できたら溜まったお皿を片付けて、借りた傘を返しに行く。

嫌いなテレビやら音楽がこっちを見たまま笑っていた

2021.04.01 Thu

 

マイナビの自己PR文を書いたついでにこれも書こうと思う。書いているうちに書かれていることが本当に自分のことなのかわからなくなり,辛くなってしまったので,まだ途中だったけれど書くのをやめてしまった。企業の「このような人物像が云々」みたいなものがあれば方針が定まるので割とすらすらと書けると思うが,今日書いたものはスカウト用のものだったのでそういったものも一切なく,きつかった。正解が分からない。

 

今日は精神科通院の日だった。駅まで行くから先日鉄道会社から借りた傘を返そうと思っていたのに,すっかり忘れて行ってしまった。近々返しに行こうと思う。

 

ここ5日間くらい精神の調子が芳しくなく,そのことを主治医に伝えたのだけれど,「人には波があるからね」と言われただけだった。もう本当につらくて,待合室で何度も泣きそうになったのに,その程度で片付けられてしまったのがかなり不満だった。まあ,それくらいで片付けられるくらい私の顔色が悪くなかったのかもしれない。

 

帰り道,へとへとになりながら歩いていたら,警察官みたいな男性二人が道路を封鎖しているところに遭遇した。なんだろう,と思いながら歩いていくと,人が増えてきて,何かのイベントだと分かった。オリンピックの聖火リレーだったらしい。平日の昼間なのにあれほど多くの人がいるのはなぜだったのだろう。オリンピックであれだけ盛り上がれる人の気持ちが全く分からない。今年はそれに加えてコロナなので開催することにすら賛否あると思うのだけれど,まあいいや。

 

Now Playing オシャレ大作戦 / ネクライトーキー

「冗談だから気にしないで」

2021.03.28 Sun

 

私はツイッターを始めて反出生主義というものに出会って,その考え方に共感するようになった。それ以前のことはもう思い出せないけれど,なんとなく,ずっとそのような考え方だったような気がする。少なくとも中学生のころにはすでにどうして多くの人が子どもを作ろうと思えるのかわからなくなっていたと思う。当時の担任の先生が子どもができたという報告をしてくれたときに,毎日提出している日記に「どうして子どもを作ろうと思えたのか」みたいなことを書いた覚えがある。先生は「自分も実際に子どもができるまでそんなにほしいと思ったことはないし,できたとわかったときも責任やらなんやらプレッシャーで,そのような中で『どうしたらその子のことを幸せにできるか』と考えているうちに愛着がわいてきた」みたいなことを書いてくれたと思う。

 

ツイッターを始めてから私の反出生主義的な考え方は加速し,一旦は落ち着いたものの,今でも「子どもをつくること(この世界に新たな生命を生み出すこと)は罪だ」と思いがある。しかし,だから産んではいけない,とまでは思えていない。無責任に生み出してほしくないだけで,その罪を常に忘れずに,生まれてきた子どもを幸せにしてくれるのなら,出産してくれても構わない。それとは別に,私個人として,苦しい思いをしたくないから産みたくない,という思いはあるけれど,世の中にはいろいろな人間がいて,その人たち全てが絶対に産んではならないとは,なかなか言い切ることができない。

 

出生なんて親のエゴでしかない,ということを忘れてほしくないのだ。親は子どもを産みたいと思い,あるいは成り行きで産むことになったのだろうが,子どものほうは決して生まれてきたくて生まれてきたわけではない。にもかかわらず,「誰のおかげで生活できていると思っているんだ」みたいな言葉を聞くと,私に向けられた言葉でなくても,悲しくなってしまう。お前が好きで産んだのだから最後まで面倒を見て当たり前だろうと思う。

 

母にもよく「お前はご飯が出てきて当たり前だと思っているだろうが当たり前ではない」と言われて育ったけれど,それは親の責務であり,本来当たり前でなければならないものなのだ。親にしてみれば,仕事から帰ってきて疲れているのに山ほどある家事をこなさなければならないのは大変だろうと,私でもわかる。しかし,それは産む前から予測できることのはずで,産んだのなら当たり前に行わなければならないことだ。当たり前であることと感謝しないことは別の問題だから,感謝していないわけではないけれど,そのような言葉は子どもに不必要なプレッシャーを与え,安全な生活が保障されていないと感じさせる。子どもが安全だと感じられる場を提供するのは親の責務であるから,絶対に,「誰のおかげで生きていられていると思っている」みたいなことは言ってはならないのだ。

 

まだ書きたいことは書ききれていないのに長くなってしまった。とにかく,出生に子の意思は介在しておらず,ゆえに子どもを生むのは親のエゴでしかなくて,親が生まれた子どもを幸せにすることは義務だ。

 

常に幸福感を与えろと言っているのではなくて,子が安全であると感じられる環境を提供することと,うまく表現できないけれど,心身ともに健康に育ててほしいということだ。そうしたらある程度の年齢になれば勝手に自立を望んで自立していくから,親はそれを見守り,SOSを出されたら応答する,くらいの距離感でいればいいと思う。

 

私はそれほどの責任を負ってまで子どもを産みたくないし,出産は大変だと聞くし,子育てにはやたらお金がかかることは自明だし,そもそも子どもが好きではないから,絶対に産みたくない。万が一いつか新たな生命を生み出して育てることの責任の重さを忘れてしまったときのために,不妊手術をしておきたいとさえ思う。

 

なかなか集中できずにまとまらない文章になってしまったかもしれない。最悪だ。

 

Now Playing 彗星 / Lyu:Lyu

手を握っていよう,迷わないように

2021.03.27 Sat

 

これを書こうとして音楽をかけたところでバイト先から電話がかかってきた。前ほど怯えながら電話を取ることはなく,安心して働くことのできるバイト先なので,できるだけ続けたいと思う。用件は月曜日に出勤できないかということだった。快諾はできなかったけれど,褒められたので行くことにした。「最近いつも忙しくてなかなか話すことができなかったのだけれど,とてもきちんとやってくれているから,くまがやさんに頼もうかなと思ったのですが」みたいなことを言われた。悪い気はしなかった。いや,月曜日に行かなければならないのは億劫ではあるが,お金ももらえるし,頑張ってみようと思う。私のやり方で間違っていなかったのだと安心した。

 

昨日は遅くまで眠れなかった。呪術廻戦の最終回が深夜まで放送されていて,最後に映画化の発表があり,興奮して眠れなくなってしまった。冬に公開されるらしいので,それまで生き延びようと思う。アニメ,あと2話くらいやると思っていたのだが,思ったより早く終わってしまって寂しい。とても良かった。

 

夕方くらいになって,急に気分が落ち込んできて,このままではよくないと思い,せっかく暖かくなってきたから,散歩がてら近所のバッティングセンターに行った。今度懇意にしているフォロワーと会うまでにもっと上手になっておきたい。バッティングセンターは思ったより近かった。扉が15cmくらい開いていて,「ねこの入口」と貼り紙が貼ってあってかわいかった。中には白と黒の柄のねこちゃんがいた。1セット目,2回くらいしか当たらなくて,それなのに左脚の付け根を痛めてしまい,不完全燃焼で,バットを返却してソファに座っていた。すると受付のおじいちゃんが話しかけてくれて,もっと手前で打つと良いと教えてくれて,追加のコインをくれた。お代はいらないと言っていたのだが,普通に持ち合わせがあったので払った。言われた通りに少し前に出てバットを振ってみたらちゃんと当たって,そのうちの1回は球が出てくる機械を超えていったので嬉しかった。

 

帰りに行ったことのないごはん屋さんに寄ってみた。居酒屋だった。たぶん混んでいたと思う。つくねと梅酒を頼んだらお通しでハンバーグが出てきてお通しでハンバーグなんてあるんだと思った。申し分なく美味しかった。少し食べてすぐ退店してしまったのだけれど,お店の女性に「ありがとうね,また来てね」と言ってもらえて嬉しかった。今度はもっと空いていて落ち着けるときに誰かと行きたい。

 

Now Playing give it back / Co shu Nie

 

 

 

インク出なくて,愛は掠んじゃって,結局何も見えない

2021.03.26 Fri

 

あっという間に金曜日だ。今週は大学のガイダンスや履修登録などで比較的忙しく,1週間がすぐに終わってしまった。そういえば金曜日は呪術廻戦の日なので見なくてはならない。

 

今日はゼミの先生との面談とバイトが午後に立て続けにあった。1日に2つ以上の予定があることは耐え難く,バイトに行くことが億劫だった。昨日はとてもスムーズに行くことができたけれど,今日は少し心理的な滞りがあった。

 

私の心の中には常に面接官が住んでいるという話は前もしたことがあるかもしれないけれど,今日は急遽面談の予定が入ったことで,いつもの面接官ではなくて教授だった。心の中ではいろいろなお話をしたが,実際には,進路のことについて尋ねられたあとゼミの説明をされたくらいだった。信じられないことに,面談は歩きながら行われたし,教室に入ったあとも30分間ずっと立ちっぱなしだった。面談といったら普通椅子と机がありそれらを使うイメージなので,余るほどある机や椅子を一切使わず立ったまま行うことはこの先ないのではないかと思う。教授は1時間半立ち続けて授業をするから慣れっこかもしれないが,私は腰を痛めた。

 

ここ数日,新学期のことと就活のことばかり考えている気がする。脳のリソースを希死念慮ではなくそういった生活上必要なことに割けるのはとてもいいことだと思うのだが,今まで生きるとか死ぬとか鬱とか精神疾患とか薬とかそんなようなことばかり文章化していたので,日記に書くことを選ぶのが難しくて困る。

 

先日ワンキャリアに登録したことは前も書いた。毎日メールが届くので,それを読んでいるだけで就活できているような気がして嬉しい。何かしていると着実に歩みを進められている気がして安心する。実際には今何をすべきなのかすらわかっていないので,諸々を調べるところからだろう。

 

今から就活している人たちは当然意識が高い人たちばかりなので焦ってしまう。私は自分の健康を守ることを第一に考えていて,自己成長だとかそういうキラキラしたものは一切望んでいない。しかし,彼らにはあふれるほどの向上心があって,企業はそのような人を採用するイメージがあるので,就職できるか不安になる。こういう自分になりたい,みたいな像は全くない。ただ,穏やかに,人並みの,人並みでなくてもいい,安定した生活をしたい。

 

ただ目前にあるタスクを片付けていれば生活していくことができるし,ゆっくりではあるかもしれないが成長できると思っているが,これは私が社会に出たことがないからで,実際はそんなことなかったとしたらキツい。

 

Now Playing 傷つける / クリープハイプ

あったかい気持ち、おすそ分けしたい

2021.03.24 Wed

 

履修と専門ゼミナールのガイダンスを計3時間視聴して履修を組んだ。ひどく疲れてしまって、泣きそうである。疲れと次の1年への不安で押しつぶされそうだ。

 

去年の前期までは一応公認心理師の資格取得を目指して履修していたけれど、院に進学するお金とモチベーションがないことと資格取得に必要な科目の授業が辛すぎて嫌になってしまったことで、諦めたというか、もういいや、となった。その影響で履修する科目を一から自分で選ばなくてはならなくなり、今日は、ひとつひとつシラバスを確認しながら履修の表を埋めていった。文章が読めない私にとっては、シラバスに目を通すのは骨の折れる作業であった。黙って話を聞いていることもできないからガイダンスも辛かったけれど。

 

専門ゼミナールのガイダンスで、教授が一人一人自分の持つゼミの説明を3分以内にするという話だったのだけれど、誰一人として時間制限を守っていなくて、絶対伸びるじゃん~だる~と思っていたら、ある教授がチャットでブチ切れていてうけた。大学の教授なんて社会不適合者の集まりだとは言うけれど、どうせ誰も守らない時間制限をやはり守らなかったことをきちっと指摘できるのは本物の社会不適合者だと思った。私は嫌いです。そういうことを言えてしまう人が嫌いなのではなくて、きちんと諸々考慮したうえで嫌いなのです。そういえばツイッターにも似たような人がいたな。

 

それと、ガイダンスに出席しなさそうな教授たちが軒並み欠席していたことにもうけた。大好きだ。ただ、出席しないのならしないで資料にきちんと詳細を記しておいてほしい。私はどうしたらいいんだ。

 

公認心理師は取らないつもりだけれど、ここまで来たらおとなしく心理系の授業を履修していたほうが楽だろうし、認定心理士は取れそうなので一応取れるようにはしておこうと思う。ただ、認定心理士については取るのが簡単な代わりに5万円くらいかかったり手続きが面倒だったりするので、実際に取るのは考えてしまう。手続きを大学がやってくれるならお金は用意してもいいけれど、きちんと読んでいないのでそのあたりのことはよくわからない。

 

Now Playing ときめきポポロン♪ / チマメ隊