わたあめの日記

タイトルは歌詞です

インク出なくて,愛は掠んじゃって,結局何も見えない

2021.03.26 Fri

 

あっという間に金曜日だ。今週は大学のガイダンスや履修登録などで比較的忙しく,1週間がすぐに終わってしまった。そういえば金曜日は呪術廻戦の日なので見なくてはならない。

 

今日はゼミの先生との面談とバイトが午後に立て続けにあった。1日に2つ以上の予定があることは耐え難く,バイトに行くことが億劫だった。昨日はとてもスムーズに行くことができたけれど,今日は少し心理的な滞りがあった。

 

私の心の中には常に面接官が住んでいるという話は前もしたことがあるかもしれないけれど,今日は急遽面談の予定が入ったことで,いつもの面接官ではなくて教授だった。心の中ではいろいろなお話をしたが,実際には,進路のことについて尋ねられたあとゼミの説明をされたくらいだった。信じられないことに,面談は歩きながら行われたし,教室に入ったあとも30分間ずっと立ちっぱなしだった。面談といったら普通椅子と机がありそれらを使うイメージなので,余るほどある机や椅子を一切使わず立ったまま行うことはこの先ないのではないかと思う。教授は1時間半立ち続けて授業をするから慣れっこかもしれないが,私は腰を痛めた。

 

ここ数日,新学期のことと就活のことばかり考えている気がする。脳のリソースを希死念慮ではなくそういった生活上必要なことに割けるのはとてもいいことだと思うのだが,今まで生きるとか死ぬとか鬱とか精神疾患とか薬とかそんなようなことばかり文章化していたので,日記に書くことを選ぶのが難しくて困る。

 

先日ワンキャリアに登録したことは前も書いた。毎日メールが届くので,それを読んでいるだけで就活できているような気がして嬉しい。何かしていると着実に歩みを進められている気がして安心する。実際には今何をすべきなのかすらわかっていないので,諸々を調べるところからだろう。

 

今から就活している人たちは当然意識が高い人たちばかりなので焦ってしまう。私は自分の健康を守ることを第一に考えていて,自己成長だとかそういうキラキラしたものは一切望んでいない。しかし,彼らにはあふれるほどの向上心があって,企業はそのような人を採用するイメージがあるので,就職できるか不安になる。こういう自分になりたい,みたいな像は全くない。ただ,穏やかに,人並みの,人並みでなくてもいい,安定した生活をしたい。

 

ただ目前にあるタスクを片付けていれば生活していくことができるし,ゆっくりではあるかもしれないが成長できると思っているが,これは私が社会に出たことがないからで,実際はそんなことなかったとしたらキツい。

 

Now Playing 傷つける / クリープハイプ

あったかい気持ち、おすそ分けしたい

2021.03.24 Wed

 

履修と専門ゼミナールのガイダンスを計3時間視聴して履修を組んだ。ひどく疲れてしまって、泣きそうである。疲れと次の1年への不安で押しつぶされそうだ。

 

去年の前期までは一応公認心理師の資格取得を目指して履修していたけれど、院に進学するお金とモチベーションがないことと資格取得に必要な科目の授業が辛すぎて嫌になってしまったことで、諦めたというか、もういいや、となった。その影響で履修する科目を一から自分で選ばなくてはならなくなり、今日は、ひとつひとつシラバスを確認しながら履修の表を埋めていった。文章が読めない私にとっては、シラバスに目を通すのは骨の折れる作業であった。黙って話を聞いていることもできないからガイダンスも辛かったけれど。

 

専門ゼミナールのガイダンスで、教授が一人一人自分の持つゼミの説明を3分以内にするという話だったのだけれど、誰一人として時間制限を守っていなくて、絶対伸びるじゃん~だる~と思っていたら、ある教授がチャットでブチ切れていてうけた。大学の教授なんて社会不適合者の集まりだとは言うけれど、どうせ誰も守らない時間制限をやはり守らなかったことをきちっと指摘できるのは本物の社会不適合者だと思った。私は嫌いです。そういうことを言えてしまう人が嫌いなのではなくて、きちんと諸々考慮したうえで嫌いなのです。そういえばツイッターにも似たような人がいたな。

 

それと、ガイダンスに出席しなさそうな教授たちが軒並み欠席していたことにもうけた。大好きだ。ただ、出席しないのならしないで資料にきちんと詳細を記しておいてほしい。私はどうしたらいいんだ。

 

公認心理師は取らないつもりだけれど、ここまで来たらおとなしく心理系の授業を履修していたほうが楽だろうし、認定心理士は取れそうなので一応取れるようにはしておこうと思う。ただ、認定心理士については取るのが簡単な代わりに5万円くらいかかったり手続きが面倒だったりするので、実際に取るのは考えてしまう。手続きを大学がやってくれるならお金は用意してもいいけれど、きちんと読んでいないのでそのあたりのことはよくわからない。

 

Now Playing ときめきポポロン♪ / チマメ隊

美しくなんてないのに君を狂わせちゃう

2021.03.22 Mon

 

昨日の夜、いくらか調子が悪くて、朝起きてみても、それはほとんど変わらなかった。これがずっと続くのではないかと考えて、恐ろしくなった、せっかくよくなってきたのに、また、

 

起きて少し経って煙草を吸っていると、親から「今時間大丈夫?」とLINEが来ていたので、落ち着いてから電話をかけた。たわいもない話をずっとしていた気がする。何の用だったのだろうか。いつもは親と関わるのが億劫なのだけれど、今日は楽しく話せたし、それによって気分がいくらか楽になった。もう10時だったのに「早起きだね」と言ってもらえたのが嬉しかったのかもしれない。

 

Now Playing Beautiful Circus

 

電話を切って、昨晩のお皿を洗って、米をセットして、買い物と電気代の振り込みに行った。朝ごはんにサバの味噌煮を購入した。ちょっとした贅沢である。家に帰ったら米が炊けていて、嬉しい気持ちになった。玄関を開けたらほのかに炊きたてのお米の香りがして、幸せを嗅覚で感じた。手を洗って、みそ汁のためのお湯を沸かして、サバを温めて、朝ごはんの支度をした。

 

サバは買ったものだし、みそ汁はインスタントだったけれど、丁寧な朝ご飯を食べると、幸福度が急激に上昇する。ということを自分用の日記に書いたら、ゼミの希望の提出書類に書く研究内容を朝ごはんにかける手間と幸福度の関係性にしようと思い立った。割と追い詰められているのかもしれない。いつまでたっても研究したい内容が思い浮かばなくて困ってしまう。

 

どうしてだったかはもう覚えていないけれど、今日は、以前病院で心理士として働きたかったことや、そうでなければライブハウスで音響と照明をいじくる人になりたいと思っていたことを思い出した。試しにライブハウスで新卒正社員の募集をしていないかと思ってグーグルで検索してみたが何もわからなかった。もしかしたら音響と照明の人は私には無理かもしれないということが分かった。知識が皆無なので。

 

勢いでワンキャリアに登録した。ツイッターの就活垢も作った。ツイッターを眺めていたら「フェルミ推定のこの本を読みましょう!」「TOEIC900点!」みたいなのを目にしてしまってすべてのやる気を失った。懇意の人によるとフェルミ推定の本は別に読まなくてもいいらしい。TOEICは受けても200点くらいしかとれなさそうなので受けたくない。勉強したくないのだ。頑張るのも嫌だ。苦労はできるだけしたくない。

君と溶け合った意識を、夢につけて、刺激で固まらせて

2021.03.21 Sun

 

気が付いたら最後に書いた日記が5日前のものになっていた。最近書いていないなとは思っていたけれど、こんなに更新していないとは思わなかった。毎日書かなければならないのに。

 

昨日今日と懇意にしているフォロワーとデートしてきた。ずっと行きたかった熱烈中華食堂日高屋にも行けたので満足である。いちご狩りもしたし、猫カフェにも行ったし、鳥貴族でたらふく飲み食いしたし、とても盛り沢山だった。おかげで今までになく寂しい。

 

昨日も今日もずっとお腹が痛かった。

 

やりたかったことを大方やってしまったからだと思う、次があるのか不安で、だからとても寂しい。単に離れたくないというのもあるけれど。

 

今までになく愛しかった、それなのに、口に出した彼の名が、彼を指すにとどまらず、ほかの、世界の有象無象と溶け合ってしまって、あの瞬間、彼の名はほんとうに世界で、だからきっと彼の存在も私にとって世界だったのだと思う。

 

もともと人の名前を覚えて区別することが苦手だというのはあるだろうけれど(よく元彼と話していて元彼の名前を呼ぼうとしたときに懇意にしているフォロワーの名前が口をついて出てしまうことがあるため)、目の前にもっとも距離の近い人がいて、それでも名前を間違えてしまったかと案じてしまった、怖かった。

 

正直なことを言ってしまうと、1~2週間ほど前まで、懇意にしているフォロワーに対する好意は、かなり落ち着いていた。それがここ最近になって頻繁に爆発するようになって、不思議だ。やすらぎとときめきの嵐だった、体温、厚み、匂い。

 

ホテルでバンプのライブ映像をテレビに流して興奮していた。私は名詞句を連続させる表現が最近かなり好きで、なんというか、映像の中で、流れるように情景が変わっていくような気がする、だからFlareの演奏時に下部に出てきた歌詞が理解しきれなくてもとても好きで、そのうち聴き込みたい。

 

懇意にしているフォロワーは就活やら何やらで気分が落ち込みがちらしく、会っている間もつらいと口にしている時間があり、どうしていいかわからなかった。就活なんてやるしかないものだと思うのだけれど、私はひと段落着いたときに素直に「頑張った!」と自分を褒めてあげることができるのだが、彼はそうでもないのか、それとも実際にやっていないのか、よくわからないけれど、時々進捗を聞いてみてもたいてい「微妙」と答えられてしまう、ちょっとやっただけでもえらいのだから、褒めてあげられるようになってほしい、たぶん自分のことではなく、就活をしているのが私だったら褒めてくれるだろうから、そこではないのだろうな、やり遂げた、という意識よりも焦りのほうがはるかに大きいのだろうか、よくわからない。

 

会ってすぐのとき、コメダで就活の作業をやっていたときに、エクセルの使い方が分からないと言われて、驚いた。私は大学の授業でよく数値を分析というかまとめたりグラフにしたりしているからいじれば何となくわかるかなという感じなのだが、彼の分野ではあまり使わないのだろうか。教えてあげたかったのに結局やらずじまいだった。

 

Now Playing Chocolate Passion / 凛として時雨

いい加減に大人になっちゃいな

2021.03.15 Mon

 

ツイッターを見ていたら身辺整理について言及している方がいて、それを見て私も部屋の掃除をしなければと思い、珍しく少し部屋を片付けた。最近は暖かくなってきたので、もうしばらく着ることのなさそうな、床に散らばっている洋服をいくつか洗濯機に放り込んで回した。その時点でもう午後だったけれど、今日は天気が良かったので、もしかしたら乾くかもしれないと思っていた。夕方になって取り込んでみると、まだ少し冷たかった。しかし、やる気になったときにやらないといつになってもやらないし、部屋が散らかっているとそれだけでメンタルの調子が崩れてしまいがちなので、洗濯して良かったと思う。そのついでに布団も上げて床に散らばっている髪の毛や埃や塵を片付けた。私は普段布団を敷きっぱなしで、布団を上げるのはもう何か月ぶりだろうかという感じなので、かびていたり湿っていたりしないか心配だったのだけれど、無事だった。良かった。

 

今日は非常に穏やかな天気で、私は、少し片付いた部屋の座椅子に座って、窓の外で揺れる洗濯物を何もせずぼおっと眺めていた。私は何もしないことが苦手で、だいたいいつもスマホをいじっているのだけれど、今日は不思議と何もしないでいられた。近所の人がだむだむとボールと戯れる音を聞きながら、ただ窓の外を眺めていた。天気に引っ張られたのか、気持ちまでも穏やかで、幸せな心地だった。この時間を誰かと共有したいと思った。

 

いつもやらないことを少し頑張ったから、いつもやらない飲酒をやろうと思い、家にあるカルーアを割るための牛乳とおつまみを買うために、近所のスーパーに出かけた。歩いていると中学生がたくさんいて、バイト先の生徒とすれ違ったらどうしようかと考えていた。誰かの家の庭に水仙が咲いていた。もう本当に、春がすぐそこまで来ている。大学が始まったらまた忙しくなるので(というか朝起きなければならなくなるので)、春の訪れを感じるとどうしても焦ってしまう。春が来たらすぐに夏が来て、そうしたら虫がたくさん出てくるので、憂鬱でしかない。今日、アパートの廊下に、かなり大きめの虫があおむけで転がっていた。写真を撮ってインスタに上げようかとも思ったけれど、気持ち悪すぎて無理だった。

 

ホットミルクにカルーアを注ぐと、入れすぎてしまったのか、とても不味かった。それからはいつものように冷たい牛乳で飲んだ。生ハムとナッツを買ってきてみたのだけれど、いちばんカルーアミルクに合うのは煙草だった。

 

Now Playing チャイナアドバイス / 相対性理論

時差12分のぼくより。

2021.03.12 Fri

 

家に帰ってきた。土日でも祝日でもなかったから電車に3時間くらい揺られてきた。実際は乗り換え時間があるからもっと短いだろう。

 

最後の乗り換えをしようとしたら、あらかじめネットで調べたはずの電車がなかった。ダイヤ改正後のものをもう載せてしまったのだろうか、それとも私の勘違い

 

乗り換えが30分以上あったから今日の晩御飯と当分の朝ごはんを買いに行った。入店時に消毒のためにアルコールを吹きかけたらやたら沁みた。実家の猫による手の傷

 

今日はもう書かないつもりだったけれど音楽を聴いていたら書きたくなった。書くことはない。今はバンドハラスメントの解剖傑作を聴いている。この曲は自動車学校に通っていたときに延々とリピートしていた。歌詞が頭に入ってこなかったから100%曲だけで聴いていた。今歌詞を調べて見ながら聴いていても全く意味が分からなくて、作詞者の頭の心配をしながら誰が書いたのか見てみたら何も書かれていなかった。いや何もなんてことはなくて、----と書いてあった。

 

そういえばこの日記は、誰かに見てもらうことが目的なのではなくて、私の文章の読み書きに要する能力をこれ以上失わないために書いていたのだけれど、その目的をすっかり失念してしまっていた。きちんと毎日書かなければならない、これはリハビリなのだ。

 

実家にいる間はあの院生のおにいさんのことを普段よりも思い出さなくて、このまま忘れていけるだろうと思ったのに、帰ってきたらまたたくさん考えてしまう。姨捨駅であのとき彼の車で通った道を見かけた、もう通ることはないかも

 

おにいさんのことを考えてしまうのは、もしかしたら会えるかもと思っているからなのだと思う。買い物をして駅へ向かう道で、自転車に乗った若い男の人たちの集団とすれ違って、そのうちの一人がおにいさんに似ていた。まあもう顔もよく覚えていないから、比べてみたら全く違うのかもしれないけれど、似てると思った。今ごろ何をしているんだろうか、違う女の子を助手席に乗せているのだろうか、そういうようなことを考えても嫉妬とかは全くないけれど、まだあそこに乗っていたかったとも思う。

 

考えないようにしようとしているからか、余計に考えてしまう気がする。ほかの人との思い出をもっともっと分厚くして、彼の占める体積を減らしていきたい。

 

Now Playing 解剖傑作 / バンドハラスメント

あしたくたばるかもしれない

2021.03.11 Thu


明日、一人暮らししているアパートに帰るので、今日でお別れだと、猫に言い聞かせながら撫でていたら、もっと撫でてくれというような仕草をされて、伝わっているのかもしれないと感じた。今、彼は私の足元で寝ている。だから、いつも着ている重たい布団をかけられずにいる。猫が押しつぶされてしまうので。


何か書きたい、辛い、ツイッターをやめたい、だるい、何もしたくない、みたいな気持ちたちがごちゃごちゃになっていた。ツイッターのアンインストールは今度する。


一生分のサイレンの音をテレビから聞いた気がする。3.11は私にとって初めての地震だったけれど、それだけで、悲惨さもあまりよくわからない。これだけ多くの人が死にました、今もこんなに多くの人が家に戻れていません、などと言われてもピンとこないし、人はいつか死ぬもので、10年も違うところに住んだとしたらそこが家になるのではないかと思う、津波の映像を見ても何も感じられない。ツイッター津波の画像とともに鬼滅の刃の、水の呼吸、〜の型、みたいな文言が投稿されていて、そのツイートには程よい胸糞悪さと嫌な面白さを感じさせてもらえて、良かった。今まで見たツイートで4番目くらいに好きだ。


3.11の話題を繰り返し取り上げるメディアを嫌でも目耳にしていて、正直なところ、うんざりしていた。


ニュース、見なくちゃいけないのだろうか、毎日嫌なものばかり、誰かが誰かに殺されました、こんな迷惑な行動をしていました、みたいな、そんなものばかり見させられて、耐えられない、他人の話題に興味がない、それもよくない話ばかり、どうして知りもしない一生関わらない人たちの話題にアンテナを張りつづけなくちゃいけないんだろう、私は私が程よい生活を送れたらそれで構わないのに、虫さえいなければ山に籠もりたい


Now Playing 月に負け犬 / 椎名林檎