わたあめの日記

タイトルは歌詞です

そつないあなたの幸せを妬んだあの子とさよなら  

 

2021.01.04 Mon

 

今日も書くことがない。私は1日何を考えて過ごしたのだろう。脳みそがあるのだから少しくらい何かを考えて生きているはずなのに、何も思い出せない。終日ぼんやりしていたのだろうか。

 

先日図書館で借りてきた津村記久子さんのエッセイを読み終わったので何日かぶりに同じく図書館で借りてきたアランの幸福論を抜粋した本を開いた。なかなか強くて厳しいことを言っている。まだ初めの27ページくらいしか読んでいないのだけれど、不安や悲しみなどの感情は意味がないだとか書いてあった。抜粋なのでこれだけ読んで言うことは特にないのだけれど、結構刺さるので良いかもしれない。

 

昨日、実父の方の祖父母からのクリスマス兼お年玉で1万円を母から受け取ったのだけれど、少ないなと思ってしまって自分最悪だなと思った。

 

母が福岡に帰るので車で送っていったのだが、その直前に呼び出されていつものように説教をされた。すぐ死ぬとかそういうことに結びつくのは病気だからだよ、治しなさいね、と言われた。その通りだと思うけれど、うるせーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!

 

母のいちばん嫌いなところ、「あんたが病気なのは私のせい?」と聞いてくるところ。その通りだけれど「そんなことないよ」としか返答できないような質問を張本人にしないでほしい。毎回「ぶっ殺すぞ」と思いながら「ううん」と言っている。なんだこの茶番。

 

まあ母が私の精神病の発症の原因の1つが自分にあると自覚したところでどうせ何も事態は好転しないからできるだけ穏便に済ませようとしている私の行動は正しい。

 

前も言ったけれど自身の行動指針に正しさの要素がある人はとても立派だと思う。自分が気持ちよく過ごせればなんでもいいだろ、と思うけれど彼らはそのままでいてほしい。

 

私は家族モノの感動ドラマに非常に弱くてすぐ泣いてしまうのだけれどそれはきっと手に入りそうで手に入らなかった理想が目の前で上映されているからだと思った。そのほかは分からん。羨ましくて憎くて泣いているのか単純に感動しているのか分からん。

 

母はよく私に説教をしてくるのだけれど言葉じゃなんにも伝わらないよと思う。これは単純に私の聴覚的言語理解がカスだからという理由もあるのだけれどそれだけではなくて、たとえば「あなたが大切だよ」と言ったところでその質や量や温度はちっとも伝わらないのだ。だからと言って抱き締めたところで気持ち悪くなってしまうので母がいくら私のことを大事に思っていたって少しも伝わらないどころか不快感が勝ってしまう、なんか、いつの間にか、そこまで壊れてしまっていたのだ。だってふつう、たとえば手をつなぐのは、言葉だけでは伝わらない2文字を伝えるためなのでしょう。

 

Now Playing 不便な可愛げ / ジェニーハイ feat. アイナ・ジ・エンド