わたあめの日記

タイトルは歌詞です

いつか懐いていた猫はお腹空かせていただけで

2021.02.05 Fri

 

昔,気が滅入っていたとき,折り紙の裏にお気持ちをしたためて折り鶴を折っていた。今は正方形の紙がないし作る気力もないので紙飛行機を折っている。さきほど飛ばしたがかなりの速度で急降下して墜落した。きっと私の人生はそれに似たものなのだろう。適当です。

 

なんとなくハイライトが吸いたくなって,すぐにコンビニで買ってきて吸った。今まで吸ったどんなハイライトよりも美味しかった。その代わりにもともとなかった食欲が完全に消滅して夜ご飯が食べられなくなった。残っていたキムチを食べた。今日はキムチと納豆しか食べていない。

 

あまりこういうようなところで具体的なことを書くのは正直あまり好いておらず,よくその日の出来事なんかを書いたりもするのだけれど,本当はもう少し抽象的なその日考えたことなどを書きたい。しかし,考えたことなんて一瞬で泡のように消えて行ってしまうので,到底1000字など書けないのである。今日はなんかいろいろと考えていたような記憶があるけれど,全部忘れた。

 

懇意にしているフォロワーが「懐いていた猫はお腹すかせていただけだったらしいな」と呟いていて今まででいちばん刺さった気がする。別に私のことを言ったわけではないのかもしれないけれど,あーーーーと思った。

 

懇意にしているフォロワーとは聞いている音楽がかなり共通していて,それは今まで出会った人の中でいちばん多いのだけれど,だから楽しかったみたいなところはあるのかもしれない。ストレンジカメレオンも,私がかなり好きで,彼も好きな曲だ。私は仲良くする人と趣味が同じである必要はないと思っているのだが,趣味が同じなほうが楽しいのかもしれないと初めて思った。

 

マッチングアプリでは相手との趣味の一致を重要視する人がかなり多いように感じる。だからペアーズも趣味でつながることができるようになっているのだろうし。私はそのような人たちを見るたびに相手の趣味も楽しみたいとは思わないのかなと思っていたし,趣味の話を他人にすることに躊躇いがないのが羨ましかった。たとえば何かの作品が好きだったときに,相手と解釈の不一致を起こすことが,私はかなり怖い。それについての考えが浅く「大して好きじゃないんだな」と思われるのも怖い。だから私はどんなに仲のいい人にも自分の好きなものの話はなかなかできない。

 

好きなものを共有する必要性はないと思う。それができたら楽しいのかもしれないが,相手が他者である以上完全な一致は見込めないし,なんて考える私はきっと自分と異なるものを拒絶してしまう心の狭い人間であるというだけなのだろう。自分の好きなものを堂々と語れないのは弱さであるとも思う,たいして好きではないのだろうとも思う,でも,私のペースで好きでいさせてほしい,それは決して間違ったことではないと思うのだ。

 

これはどうでもいい話なのだがこれを書きながらココアシガレットを咥えているのは心地よかったのでまたやりたい。食欲はないがココアシガレットを咥えることはできる。それと明日は更新しないかもしれません。

 

Now Playing ストレンジカメレオン / the pillows