わたあめの日記

タイトルは歌詞です

朝焼け色の中に、きみはひとり

2021.01.09 Sat

 

本なんていくらも読んでいないのに、1年前に自分で書いた文章は、当時はとてもいい出来だと思っていたにもかかわらず、今は目にするのも苦痛なくらい気持ち悪くて、自分が良いと思う文章の基準が変わっていることがわかる、誰の影響を受けたわけでもなく、言語における美的感覚は、少しずつ、自覚のないうちに変化を遂げているようだ。

 

小説が書きたくなって、プロットを練ることもないまま、登場人物の姿をイメージすることもなく、原稿用紙を探していた。形から入るタイプなのである、私にとって、小説家は、木製の机に向かって万年筆で原稿用紙に文字を書いているイメージがある、それになろうとした。書き出しを考えながら探していた。「何か理由があるというわけではないが、原稿用紙が好きだ。たくさんの正方形が規則的に連なっていて、間にスペースがあり、それらのまとまりは太枠で囲まれている、それのどこがいいのか、自分でもあまりわからないのだけれど、とにかくその図形が良かった。」特にいつもの日記と変わらない書き出しである。ここまで考えたところで、何も浮かばなくなった。私は書き出しに困ることはめったにないが、書きたいものがないので構成を考えることもできず、途中で筆が進まなくなってしまうということが非常に多い。指の動くままに任せるのは気持ちいいけれど、特段才能のない私には、すべてを任せた指が途中で動かなくなってしまうことばかりだ。原稿用紙は手元に持ってきたが、書くことも万年筆もないので、今は部屋のインテリアの1つとして机の上に散らかっている。

 

また何となくツイッターが嫌になってログアウト(したふりを)していたら、質問箱に大丈夫かと心配するメッセージが届いた。私はメール通知をオンにしているので、誰かが質問箱にメッセージを投げ入れたらすぐにわかる。それを見たとき、私は嬉しいような、申し訳ないような、一言で表現するのは難しい感情を抱いた。いつそれに返答しようか、何と返答すればよいのか、今、迷っているところである、と書いたが、実のところあまり考えていない。

 

いつも目に入ったツイートは読んでいなくてもいいねするのだが、今はログアウトしたふりをしているのでまったくいいねをしていない。うっかりいいねしてしまった人には私がいつもどおり浮上していることがばれてしまっているであろう。一応うっかりいいねを防ぐために左手で画面をスクロールするようにしているのだが、してしまったものは仕方ない。慌てて取り消したりもしたけれど、それに気がついても嫌な気にならないでほしい。

 

Now Playing 透明エレジー / n-buna