わたあめの日記

タイトルは歌詞です

死にたくないって本能抜いて、食べてしまいたい欲望も抜いて

2021.01.08 Fri

 

冬休み明けというものがとても嫌いで、私は、年明けの学校はよく休んでいた。今年も休んでしまおうか、オンラインだけれど、と思っていた。なんとなく気分は重かったけれど、出席することはできた。これは私の成長なんかではなく、オンラインだったから出席が普段よりも容易かったというだけの話なのだが、自分ができる人間になったような気がして嬉しかった。嬉しかったはずだけれど、何も感じない。出席すれば達成感で幸せな気持ちになれると思ったのに、今あるのは来週からも授業があることへのプレッシャーくらいのものである。

 

自分が周りよりも遅れている、何もできない、という焦燥感は、自分には高い価値があり何でもやってのけることができる、という根拠のない自信とともにずっとある。日によってどちらに意識が偏重するかということはあるけれど、たぶんどちらもずっと感じている。何もかも、ことがうまく進んでいる、というようなときには、自分は無敵であるのだと感じられるのだけれど、ひとたびでも失敗すると、たちまちそれは瓦解し、すべてにおいてだめなのだ、と、世界に対しても自分に対しても、ひどく絶望的な気分になってしまう。両極端なのだ。白黒思考なのかもしれない。

 

辛い気持ちに気を取られないようにするために文章を書く、ということが私には度々あり、今もそうであるのだが、うまく辛さを紛らわすことができず、たとえば少しミスタイプをしたり変換に失敗したりするだけで、息が詰まって泣きそうになる。余裕のない人間は簡単におかしくなってしまい、恐ろしいものだ。私はいつも余裕がない。これは母譲りというか、常に余裕のない母親に育てられたからこんなふうになってしまったのだと思う。このような状態で、どうやって生きたらいいのか分からない。呼吸の仕方さえ忘れてしまうような、胸の痛みで声を出すこともままならないような、そんな辛さに包まれていない時間の方が短いのではないかと思う。束の間の幸福感、ではなくとも、希死念慮がない状態があったって、すぐに自殺のことしか考えられないような日々が始まる、今度はそれも終わらないかもしれない、一生苦しむかもしれない、といった不安や絶望感は常にあり、自殺したくないという感情は本能でしかなく、それを抜いたら、生きる理由なんてなく、ただ死んでないから生きている、というだけの屍みたいな人間にしかなれない。今日も一日しにたいね。

 

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