わたあめの日記

タイトルは歌詞です

このままきみがいなくなったら,どうしよう

2021.04.08 Thu

 

今日から新学期だったので大学に行った。授業は初回なのでガイダンスしかやらず,非常につまらなかったので,あまり聞いていなかった。聞いていないところで良いことを言ったりするのでたちが悪い。今日聞き逃したところは今後の授業で網羅したい。

 

1年ぶりに対面授業があったので,出席記録を取るために学生証を機械にかざすのを忘れかけてしまった。周りの人の「ピッ」という音で思い出して出席登録をすることができた。

 

依然として心身の調子が悪く,喉に髪の毛が絡まっているような不快感だとか,もうとにかくやっていられない。先ほど,なんでもないときに急に自分が普通に社会生活を送っていることが,怖いというか,とても違和感を覚えて,そのことが怖いと思った。軽度の解離症状のようなものだと思っている。明日も大学があるけれど,耐えられるだろうか。

 

懇意にしているフォロワーが就活でだいぶやられていて,何か手を差し伸べられたらと思って考えてみたけれど,何にもならないようで,私の頭が足りていないのだろうか,何もできなかったなとふと思った。勝手に立ち直ってくれたらいいと思うし,内定が出たらそれでいいと思うのだけれど,もしも,と考えるとどうしていいかわからなくなってしまう。

 

ツイッターのプロフィールを新しく作りたい気分だったので,使っていないアカウントで試行錯誤していた。楽しかった。満足できるものができたけれど,使い道はないのでログアウトした。そろそろアカウントを移行したい気持ちも強くなってきているので,いつか移行するかもしれない。というか今日それをしようと思ったのだけれどめんどくさすぎてやらなかった。そんなことよりもツイッターをやめたい。

 

授業が終わった直後にツイッターを開いたらタイムラインが気持ち悪いと感じたので,授業を受けている間だけ,私は現実の世界を生きていたのだと思う。いずれツイッターをやめられるだろうか。

 

Now Playing 眠り姫 / SEKAI NO OWARI

揺蕩うように,雨流れ

2021.04.06 Tue

 

どうしようもなく辛くて,無理を言って懇意にしているフォロワーに家に来てもらった。とてもありがたいことだと思う。しかし,当然ながらフォロワーが帰ったあとはまた辛くなってしまい,とりあえず気持ちを吐き出すためにキャスをやった。今まで私は話すということが絶望的にできなかったから,ずっと書くという方法で辛い気持ちを消化していたのだけれど,少しずつ話すこともできるようになり,書くことよりももっと手軽な方法でストレスを消化できるようになったから,これはこれで良いことなのだと思う。書く理由がなくなってしまったという点では悲しいけれど,できるだけ良い面を見ていたい。現状に執着する理由はない。

 

「頑張ろうと思えた矢先に調子が悪くなってしまった」と口に出したところで,今辛いのは頑張ろうと思えているからなのだと分かった。その真偽は置いておいても,そういうことにしておいたほうが気が楽なのでそういうことにしておきたい。以前まで存在しなかった「頑張らなければ」という気持ちによって押しつぶされていたのだと思う。やらなければならないことがいくつかあり(就活・大学の授業への出席と課題の提出・バイト),それらが気づかぬうちに重荷になっていただけだ。

 

頑張らなければならない,なんてものはなくて,すべて私が頑張りたいと思っているから取り組んでいるに過ぎない。だから,プレッシャーがかかる理由もない。辛かったら頑張るのをやめればいいのだ。少し休んだって,どうとでも取り返すことができるし,きっと多くの人は,上手い具合に休みつつ頑張り続けているのだと思う。頑張り続けるために,休むことは必要だ。

 

あまりに辛くて,久しぶりに市販薬の過量服薬に手を出しそうになった。そのときの時刻はまだ夜も更けておらず,近所のドラックストアも営業している時間だったが,15分くらい耐えれば(家を出ることの億劫さに重きを置いて引きこもっていれば)とりあえず今日はドラックストアが閉まって薬が買えなくなると考えて,ひたすら布団の中で耐え忍んだ。今はもう,そのような欲求は一切ない。自傷行為を一切せずに,辛い時間を乗り切ることができた。とても大きな成長だと思うし,自分のことながら「すごいな」と思う。1年前の私なら考えられなかった。その場しのぎみたいな考え方でも良いから,何の救いにもなりえない自傷行為をせずにいられるようになりたい。そうなりつつあるのは,とても嬉しいことだ。自殺企図もせずに済みそうだ。死ぬ,死ぬ,と言いつつ,そういった行為は最近一切していない。実際に命を落とすかどうかにかかわらず,一線を越えるのは控えたいと思うのだ。

 

Now Playing 雨とカプチーノ / ヨルシカ

気になるあの娘の頭の中は普通

2021.04.03 Sat

 

直近2~3か月の間,精神の調子が割と良好で,それまでおおよそ2か月周期で波の上下を繰り返していた私は,「このまま寛解するのでは」と楽観視しつつも,「そろそろ落ちてくるのではないかな」と考えていた。

 

寛解はどうやらまだのようらしい。1週間ほど前から随分と調子が悪い。理由もなく涙が出てきそうな状態が続き,いくら寝ても体が怠く,脳が正常に働かない。春だからかもしれない。生理だからかもしれない。とにかく,早めに持ち直すために,今日は一日何もしない日にしようと思い,昨晩は早めに寝た。

 

何もしないつもりだったのに,起きたらまず白湯を飲み,ひと段落したらバッティングセンターにいって2セット打ってきた。集中することができず,あまり成績が良くなかったように思う。ひとまず,80km/hのボールをだいたい打てるようになることを目標としており,そのためにバットを水平に振ることとボールがバットに当たるまで見ることと体重移動を意識しようと思っていたのだけれど,気が散ってしまってだめだった。まあ,誰に求められてやっているものでもないので,気長にやろうと思う。

 

バッティングセンターからの帰り道,こたつ布団のカバーを洗うことを思いついたので,帰って早々カバーを洗濯機に放り込んだ。その勢いでなぜか部屋の模様替えを始めてしまい,今日はもうへとへとだ。重たい本棚を何度も移動させたり,家具の配置を考えていたりしたら,ひどく疲れてしまった。

 

せっかく休もうと思ったのに,全くと言っていいほど休めなかった。明日こそ何もしない日にして,明後日から就活の準備を再開しようと思う。明後日になっても調子が悪かったらその限りではない,ときちんと記しておく。何をするにも,健康が第一である。心身を壊してまでやらなければならないことなど何もない。

 

3か月前くらいだろうか,調子がもっと悪かったときは,とにかく今日を生き延びることを目標としていた。今日を生き延びること,ODをしないこと,達成しなければならない目標はそれだけで,調子が良くなるにしたがって,腕を切らないことが加わり,進捗を出すことが加わった。再び調子が悪くなった今,達成目標を「生き延びること」まで引き下げることは必須なのに,なかなか難しい。進捗を出そうとすることが癖になってしまっている。そのこと自体は何も悪いことでないし,人間的であると思うのだけれど,来週から始まる新学期に備え,身体と心を調えなければならない。

 

とにかく,明日は休む。出来たら早く起きて,3食美味しいものを食べよう。明日の目標は,バランスのとれた3食(ないしは2食)の食事をとることにする。そうしたら,ゆっくり休むことができそうだ。人間は食事と睡眠からできている,その2つをおろそかにしてはならない。

 

Now Playing 気になるあの娘 / 相対性理論

 

 

2021.04.02 Fri


疲れてしまった。
明日から休みだったから今日のバイトに行けたけれど、今日から3連勤とかだったら辞めていたと思う。

午前中は就活サイト主催のインターンシップガイダンスを視聴した。ひどく疲れてしまった。

その後リフレッシュのために近所のバッティングセンターに行った。入店しても誰もいないと思ったら、受付のテーブルの下から「お客さんかい」と声がして、見たら猫がいて、「猫と昼寝していた」と言われた。とても良かった。私も将来バッティングセンターを経営したい。

連日のバイトと通院と就活とでキャパシティを超えてしまったようで、頭がぼんやりして現実感がなく、認知的活動も難しい。気分はさほど悪くないけれど、体がだるく、常に涙が出そうで、胸が苦しい。明日はとにかく休む日にしようと思う。できたら溜まったお皿を片付けて、借りた傘を返しに行く。

嫌いなテレビやら音楽がこっちを見たまま笑っていた

2021.04.01 Thu

 

マイナビの自己PR文を書いたついでにこれも書こうと思う。書いているうちに書かれていることが本当に自分のことなのかわからなくなり,辛くなってしまったので,まだ途中だったけれど書くのをやめてしまった。企業の「このような人物像が云々」みたいなものがあれば方針が定まるので割とすらすらと書けると思うが,今日書いたものはスカウト用のものだったのでそういったものも一切なく,きつかった。正解が分からない。

 

今日は精神科通院の日だった。駅まで行くから先日鉄道会社から借りた傘を返そうと思っていたのに,すっかり忘れて行ってしまった。近々返しに行こうと思う。

 

ここ5日間くらい精神の調子が芳しくなく,そのことを主治医に伝えたのだけれど,「人には波があるからね」と言われただけだった。もう本当につらくて,待合室で何度も泣きそうになったのに,その程度で片付けられてしまったのがかなり不満だった。まあ,それくらいで片付けられるくらい私の顔色が悪くなかったのかもしれない。

 

帰り道,へとへとになりながら歩いていたら,警察官みたいな男性二人が道路を封鎖しているところに遭遇した。なんだろう,と思いながら歩いていくと,人が増えてきて,何かのイベントだと分かった。オリンピックの聖火リレーだったらしい。平日の昼間なのにあれほど多くの人がいるのはなぜだったのだろう。オリンピックであれだけ盛り上がれる人の気持ちが全く分からない。今年はそれに加えてコロナなので開催することにすら賛否あると思うのだけれど,まあいいや。

 

Now Playing オシャレ大作戦 / ネクライトーキー

「冗談だから気にしないで」

2021.03.28 Sun

 

私はツイッターを始めて反出生主義というものに出会って,その考え方に共感するようになった。それ以前のことはもう思い出せないけれど,なんとなく,ずっとそのような考え方だったような気がする。少なくとも中学生のころにはすでにどうして多くの人が子どもを作ろうと思えるのかわからなくなっていたと思う。当時の担任の先生が子どもができたという報告をしてくれたときに,毎日提出している日記に「どうして子どもを作ろうと思えたのか」みたいなことを書いた覚えがある。先生は「自分も実際に子どもができるまでそんなにほしいと思ったことはないし,できたとわかったときも責任やらなんやらプレッシャーで,そのような中で『どうしたらその子のことを幸せにできるか』と考えているうちに愛着がわいてきた」みたいなことを書いてくれたと思う。

 

ツイッターを始めてから私の反出生主義的な考え方は加速し,一旦は落ち着いたものの,今でも「子どもをつくること(この世界に新たな生命を生み出すこと)は罪だ」と思いがある。しかし,だから産んではいけない,とまでは思えていない。無責任に生み出してほしくないだけで,その罪を常に忘れずに,生まれてきた子どもを幸せにしてくれるのなら,出産してくれても構わない。それとは別に,私個人として,苦しい思いをしたくないから産みたくない,という思いはあるけれど,世の中にはいろいろな人間がいて,その人たち全てが絶対に産んではならないとは,なかなか言い切ることができない。

 

出生なんて親のエゴでしかない,ということを忘れてほしくないのだ。親は子どもを産みたいと思い,あるいは成り行きで産むことになったのだろうが,子どものほうは決して生まれてきたくて生まれてきたわけではない。にもかかわらず,「誰のおかげで生活できていると思っているんだ」みたいな言葉を聞くと,私に向けられた言葉でなくても,悲しくなってしまう。お前が好きで産んだのだから最後まで面倒を見て当たり前だろうと思う。

 

母にもよく「お前はご飯が出てきて当たり前だと思っているだろうが当たり前ではない」と言われて育ったけれど,それは親の責務であり,本来当たり前でなければならないものなのだ。親にしてみれば,仕事から帰ってきて疲れているのに山ほどある家事をこなさなければならないのは大変だろうと,私でもわかる。しかし,それは産む前から予測できることのはずで,産んだのなら当たり前に行わなければならないことだ。当たり前であることと感謝しないことは別の問題だから,感謝していないわけではないけれど,そのような言葉は子どもに不必要なプレッシャーを与え,安全な生活が保障されていないと感じさせる。子どもが安全だと感じられる場を提供するのは親の責務であるから,絶対に,「誰のおかげで生きていられていると思っている」みたいなことは言ってはならないのだ。

 

まだ書きたいことは書ききれていないのに長くなってしまった。とにかく,出生に子の意思は介在しておらず,ゆえに子どもを生むのは親のエゴでしかなくて,親が生まれた子どもを幸せにすることは義務だ。

 

常に幸福感を与えろと言っているのではなくて,子が安全であると感じられる環境を提供することと,うまく表現できないけれど,心身ともに健康に育ててほしいということだ。そうしたらある程度の年齢になれば勝手に自立を望んで自立していくから,親はそれを見守り,SOSを出されたら応答する,くらいの距離感でいればいいと思う。

 

私はそれほどの責任を負ってまで子どもを産みたくないし,出産は大変だと聞くし,子育てにはやたらお金がかかることは自明だし,そもそも子どもが好きではないから,絶対に産みたくない。万が一いつか新たな生命を生み出して育てることの責任の重さを忘れてしまったときのために,不妊手術をしておきたいとさえ思う。

 

なかなか集中できずにまとまらない文章になってしまったかもしれない。最悪だ。

 

Now Playing 彗星 / Lyu:Lyu

手を握っていよう,迷わないように

2021.03.27 Sat

 

これを書こうとして音楽をかけたところでバイト先から電話がかかってきた。前ほど怯えながら電話を取ることはなく,安心して働くことのできるバイト先なので,できるだけ続けたいと思う。用件は月曜日に出勤できないかということだった。快諾はできなかったけれど,褒められたので行くことにした。「最近いつも忙しくてなかなか話すことができなかったのだけれど,とてもきちんとやってくれているから,くまがやさんに頼もうかなと思ったのですが」みたいなことを言われた。悪い気はしなかった。いや,月曜日に行かなければならないのは億劫ではあるが,お金ももらえるし,頑張ってみようと思う。私のやり方で間違っていなかったのだと安心した。

 

昨日は遅くまで眠れなかった。呪術廻戦の最終回が深夜まで放送されていて,最後に映画化の発表があり,興奮して眠れなくなってしまった。冬に公開されるらしいので,それまで生き延びようと思う。アニメ,あと2話くらいやると思っていたのだが,思ったより早く終わってしまって寂しい。とても良かった。

 

夕方くらいになって,急に気分が落ち込んできて,このままではよくないと思い,せっかく暖かくなってきたから,散歩がてら近所のバッティングセンターに行った。今度懇意にしているフォロワーと会うまでにもっと上手になっておきたい。バッティングセンターは思ったより近かった。扉が15cmくらい開いていて,「ねこの入口」と貼り紙が貼ってあってかわいかった。中には白と黒の柄のねこちゃんがいた。1セット目,2回くらいしか当たらなくて,それなのに左脚の付け根を痛めてしまい,不完全燃焼で,バットを返却してソファに座っていた。すると受付のおじいちゃんが話しかけてくれて,もっと手前で打つと良いと教えてくれて,追加のコインをくれた。お代はいらないと言っていたのだが,普通に持ち合わせがあったので払った。言われた通りに少し前に出てバットを振ってみたらちゃんと当たって,そのうちの1回は球が出てくる機械を超えていったので嬉しかった。

 

帰りに行ったことのないごはん屋さんに寄ってみた。居酒屋だった。たぶん混んでいたと思う。つくねと梅酒を頼んだらお通しでハンバーグが出てきてお通しでハンバーグなんてあるんだと思った。申し分なく美味しかった。少し食べてすぐ退店してしまったのだけれど,お店の女性に「ありがとうね,また来てね」と言ってもらえて嬉しかった。今度はもっと空いていて落ち着けるときに誰かと行きたい。

 

Now Playing give it back / Co shu Nie